そういうわけで5 万円のポンコツ・オースチンでめでたくオーナードライバーになった私ではありました。東京オリンピックから3 年後のことです。
ここで東京オリンピックを出したのは、当時の日本人にとって、とても大きな節目のイベントだったからなんですね。やっぱりそれまでは戦後(それも負けての)だったんで、なんとか世界にも蘇りを認めさせたいとか、けっこう意地になってる部分、あったと思うんです。だったらオリンピックの誘致だとか開催だとか、誰にもわかりやすいじゃないですか。「みんな仲良く」みたいな大義名分だってあるわけだし。
私自身、オリンピックの時は高校3 年だったんで、よーく覚えてますよ。聖火最終ランナーの坂井君が国立競技場の大階段を駆け登って聖火台に点火するシーンとか、その時のテレビのアナウンスの声だとか、「東洋の魔女」こと日紡貝塚が常勝ソ連をやっつけて優勝した女子バレー決勝の「金メダル・ポイントです!」の絶叫とか、アベベのマラソン二連勝とか、重量挙げの三宅選手とか、マラソンの最後で円谷幸吉がヒートリーに抜かれる時の観客席の悲鳴とか、アントン・ヘーシンクの柔道優勝とか、今でも細部まで身振り手振りで実況できますもん。三波春夫の「東京五輪音頭」、あの日ローマで仰いだ月を───だって歌えますもん。高校3 年で受験勉強しなきゃいけないのに、「ま、『オリンピックの顔と顔』だし」なんて歌の文句でごまかして、結局浪人しちゃったわけですし。
で、つくづく思うんですが、やっぱり世代って感覚、ありますね。私の場合、東京オリンピックの話題を共有できる人と、そうでない人と、どこか心の中で分けてます。それを戦前派、戦後派と同じ意味で、「オリ前派」と「オリ後派」って、自分じゃ呼んでるんですけど。
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ま、そんなことがあった後なんで、軽自動車とかトヨタ・パブリカとか、いわゆるマイカー族(って変な呼び方で嫌いなんですが)も急増したし、そのころは晴海埠頭のドームが会場だった東京モーターショーの展示もどんどん華やかになったり、なんとなく今に続く雰囲気ができたころでした。そんな中で錆だらけの5 万円じゃ、たしかにポンコツもいいところでしたが。
ポンコツといっても、貧乏学生がそれを手に入れるまではそれなりの算段もあったわけで、けっこうアルバイトにも励んだもんです。なにしろ我が家は親父がワカランチンなもんで、たとえ金があったとしても(なかったけど)クルマ買ってくれなんて言えた空気じゃありませんでしたから。あのころから新聞記者って威張ってたもんで、社旗を立てた黒塗りのハイヤー(たいていダッジかシボレー)が毎朝迎えに来てたんです。だから「クルマってものは自分で運転するもんじゃない。人に運転させて後ろに乗るもんだ」が親父の口癖でした。もう死んじゃったからいいけど、まさか息子が自動車ヒョーロンカになるなんて、一生の不覚だったでしょうなあ。
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それはそれとして、アルバイトで一番おもしろかったのは、映画やテレビのエキストラでした。そういうコネを見つけるのが上手い同級生がいて、仕事を取って来るんです。そいつは社会に出てからも、目の付けどころがユニークで、今じゃ大手の出版社で偉くなってます。やっぱり「栴檀は双葉より芳し」だよなあ、島本。
そんな中でのマイ代表作?はNHKの連続テレビ小説「おはなはん」。もう最後に近いころ、主人公のおはなはん(樫山文枝)がドイツ・レストランに入るシーンで、「どうぞ」とかビールのジョッキをテーブルに置く役だったんで、ちゃんとウェイターの制服着せられて、髪もチックで固めて、緊張しまくりでやりましたがな。ところが後で見たらジョッキだけ大写しで、私は手首だけ。なんのこっちゃ。あと東映の「組織暴力」では、下っぱヤクザとして飯を食ってるところに井川比佐志の刑事がハジキのガサ入れに踏み込んで来るとか、TBSの「真田幸村」では読売ランドのロケで雑兵だったとか、けっこう遊び気分で1 日1500円は、当時としては悪くなかったですね。
うーん、困った、なかなかオースチンの話に戻れない私。誰か止めてくれ。ま、いろいろありましたが、やっぱりクルマを買うにはクルマ関係のアルバイトと思っていたら、ちょうど日産自動車の季節工募集っていうのがあったんです。その申し込み場所が荻窪工場でした。今はゴーン社長のリストラ策の一環として売却されて建物も取り壊され、何も残ってませんが、青梅街道に面した古い工場でした。ここは私の子供のころは富士精密で、それからプリンス自動車になったんですが、敗戦までは軍用機で有名な中島飛行機だったことは、前にも書きましたよね───って、来週こそオースチンの話題にたどり着く決意ではありますが。
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| そんな東京オリンピック頃に登場したトヨタ・パブリカ。なんでもパブリックとカーを合成した造語で、理想的な大衆車を目指したそうな。そういえば、東洋の魔女ってな時は圧倒的に強かった女子バレーも、今ではオリンピックに出られるかどうか。10年に一度の逸材が二人も登場してきたと言われてますから、どうにか頑張って欲しいもんです |
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