本でも雑誌でも、ページ数は偶数です。最初のページが表紙で、最後のページが裏表紙だから偶数なのです。たまに単行本などで、わざわざ本文ページの最初を1 ページにして、表紙や見返し(表紙の次の、きれいな和紙などで張ってあるところ)を無視している場合もありますが、それは例外。
ちなみに雑誌の世界では、表紙のことを「表1 」、裏表紙を「表4 」と呼ぶことになってます。だから表紙の裏側が「表2 」、裏表紙の裏側が「表3 」になります。この表2 から表4 までは広告ページの中でも高い料金を取れるページで、特に表4 のカラー広告は大切です。ここに大企業がレギュラーで出広(広告を出すこと)してくれるようになると、雑誌としても存在を認知されたということになります。
それはともかく、ページの下には数字があって、何ページかわかるようになっているのが普通です。この数字のことを、業界では「ノンブル」といいます。英語ならナンバーですが、なぜか印刷業界にはフランス語系の単語も少なくありません。広告ページの場合、この数字がないこともありますが、それはデザイン上の都合からで、これを「隠しノンブル」と言います。つまり数字が入ってなくても、実際にはちゃんと順番に数えてるわけ。
でも私が現役の編集者だったころ、本当にノンブルのない8 ページを作っちゃったこと、あります。だから数字のうえでは400 ページの雑誌だったのに、実際には408 ページありました。「幽霊ページ事件」です。
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24年前のことです。そのころ私たちクルマ雑誌の編集者にとって最大の関心事は「ホンダのF1復帰」。1968年を最後に手を引いてから10年以上、最大の課題だった排気対策にも解決の目処がついたし、もともとレース大好きのホンダがいつまでも黙っていられるわけがありません。あの手この手で情報を探っていました。当時の上司がホンダ技術研究所の副社長だった川本信彦さん(後に研究所の社長、そして本田技研の社長になった)にその件を尋ねたら、ニヤッと笑って「ほら、テストの音が聞こえるでしょ」とか、関係者もけっして否定しませんでした。
でも、いつどうやって復帰するのか、ちっとも見当がつきません。そのうちヨーロッパから「どうやらホンダはイギリスのラルト・チームにエンジンを供給して、まずマイナーリーグのF2で国際舞台に返り咲く計画らしい」という噂が流れてきました。そこでそっち方面にアンテナを向けると、「もうエンジンがイギリスに送り込まれた」とか「いよいよテストランをするそうだ」とか、毎日のように噂の内容が具体的になって来ます。
そうこうするうちに、日本のF1カメラマンの草分け的な一人として知られた間瀬明さんから、「なんとかラルトに話をつけて、現物を撮影できそうだ」と連絡が入りました。さすが、カメラマンとしてだけでなく、1976年に富士スピードウェイで開催された日本で初めてのF1レースを呼ぶキーマンとして活躍した間瀬さんだけあって、ホンダやラルトにつながる人脈をフルに使って、特ダネに食らいついたのでした。
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こうなりゃ、こっちだって「独占! ラルト・ホンダ衝撃の映像!」とか、一発やりたいじゃないですか、雑誌屋ですもん。なのに、いつ撮影できるか、それがわからない。イギリスでの撮影のタイミングさえ決まれば、ヒースローからどの飛行機に乗れて、いつ成田に着いて、それから現像所に駆け込んで仕上がりが───とか見当が付くんですが、そうじゃないと台割も作れません。
「台割」っていうのは雑誌や本の設計図。ダダーッと表みたいになってて、何ページから何ページまではこの記事、次に何々の広告が入って、それから何ページはこういう企画という具合に書いてあるものです。それにラルト・ホンダの大スクープ・ページを予定していいものやら駄目なんやら、そこが決められないんです。予定しといても、輪転機が回りだすまでに写真が届かなかったら、その8 ページ真っ白です。
そこで、やっちゃいましたね。「えーい、そんなの『なし』で台割作れ」って。頭ん中じゃ、半分は諦めてたわけ、「こりゃ来月まわしだな」って。そしたら、次号がほとんど全部できあがりそうな段階で、来たんですよ、間瀬さんから「写真、送った」って連絡が。そん時は、こっちだって確信犯ですから、「ヨシッ」てなもんで、それ専用の特報8 ページを作って、印刷会社と製本会社に無理を頼み込んで、全体の頭にぶっ込んじゃいました。もちろんノンブルなし。その直前のページ数から間が8 ページ飛んで次の数字が始まってるという、「存在しないページの大速報」だったわけです。後でホンダ・サイドでは、「こんな写真、どこから漏れたんだ」って大騒ぎになったらしいけど、おかげでその後も、第2 期ホンダF1活動に関しては、ずっとリードさせてもらいました。レースの裏には、こんな競走もあるんです。
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| 第2次F1参戦のときはセナ・プロを擁し圧倒的な勝利を収めたホンダ。現在の第3次参戦では、ようやく今年実り始めたといった感じです。日本中の期待を背負ったホンダ&佐藤琢磨選手が、ついに表彰台にのぼったのは、ついこのあいだのアメリカGPでのこと。 |
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