やっぱり、こういう仕事してると、なんだかんだ試乗とかインタビューとかで毎日が矢のように過ぎ去ってしまいます。そんなこんなで30年、どんなに少なく見積もっても4000台はハンドル握って来ました。塵も積もれば山といいますが、こんなことなら、仕事で乗った第1 号車から、きちんと記録をつけておけばよかったと、少し後悔している昨今です。
そういうわけで、実にいろいろな試乗会に呼ばれた私ですが、先方も良く書いてもらおうとばかり一生懸命なんで、どうしてもアトラクションみたいなことが多くなって、本当に乗れる時間が限られちゃうのが玉に瑕。
でも、そうじゃない試乗会もあって、それがプジョーなんです。やっぱりフランスは、植民地を持っていた関係からか、北アフリカに強いんですね。プジョー広報部にもやたらそっち方面に強いスタッフがいるんで、モロッコとかシナイ半島とかが舞台になることが多いんです。
それも気合が入りまくりで、ある時なんかモロッコの南のタンダンという古都から奥地の山脈を越えてアルジェリアに入り、サハラ砂漠の入り口のサマンラセット(パリダカの要所にもなった町)まで2000km、延々と走ったこともあります。どういう手順かというと、まず私たちをパリに集合させて、チャーター機でモロッコまで運ぶんですが、オルリー西空港に行ってみると、もう機内にモロッコの入国管理官が乗り込んでて、さっさと私たちのパスポートを集め、目的地に着陸するまでにビザのゴム印を押しちゃうぐらい手回しがいいんです。
ところで、私たちがパリのホテルに着いたらプジョー広報のミスターA が、「みんなと食事したいんだけど、明日からモロッコだから、せめて今夜はワイフといっしょにいたいんだ、ごめんね」と申し訳なさそうに言うんです。そりゃまあ、そうでしょう。で、翌朝みんなでチャーター機に乗り込んだ途端、A さんったら、もうスチュワーデスの腰に手をまわして口説いてんの。さすがラテンの二枚目やなあ───というのは余談です。
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ところで、イスラム教国のビザ申請書ってどうなってるか、知ってる? 当然氏名とか生年月日(西暦です)は書きますよね。その次には両親の名前、それも生死に関係なく、おまけに母親の旧姓まで書きます。子供の名前も書きます。でも、なぜか「妻」の欄はないんです。少なくともモロッコ、エジプト、アルジェリア、ヨルダンはそうでした。そのうえ、妙に細かいことにうるさいんですね。
プジョーの試乗会で、山越え谷越え、干上がった川を越えてモロッコからアルジェリアへと、山奥の小さな国境検問所に差しかかった時のことです。さんざん待たされたあげく、小さな小屋に呼び込まれます。型通りに名前とか聞かれてパスポートを点検してから、「職業は?」と来ました。まあ当然でしょう。「雑誌の記者です」と答えると、「月刊か週刊か」だって。そこまで関係ないと思うんですけど、どこの国もお役人って変わらないみたい。
もっと驚いたのは、そういう手続きが終わっても入国させず、外で2 時間ほど待たされて、また同じ小屋から呼ばれるんです。今度はさっきの隣の机で、同じこと根掘り葉掘り聞かれるんで、「さっき、こっちの人に答えたじゃないか」と言ったら、「あっちは国境警備隊、こっちは警察」ですと。
もっともっと驚いたのは、そんな国境に停まってたトラックです。幌もない荷台に木のベンチ(クッションなし)が並んでて、やた発育のよろしい白人の娘さんたちがキャアキャアおしゃべりしながら手続きを待ってるんです。どこから来たのか聞いたら、オランダから安い団体で、トラックに揺られて来たんだって。それだけでビックリなのに、どこまで行くのか聞いてまたビックリ。そんなトラックでケニアをめざすんだって。いやはや大胆というか丈夫というか───。
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さて、そんなこんなでやっと手続きが終わったら、もう太陽も西に傾いてます。だんだん夕闇の迫る砂漠の中の一本道をカッ飛ばしてたら、前方に人影が見えるじゃありませんか。リュック背負って歩いてる青年です。そこでクルマを停めて、「どこまで行くんだ、乗ってくかい」と声をかけたら、「いや、けっこうです。僕はイギリスから、サハラ徒歩横断に来たんで、このまま歩くんです」だって。いろんな人がいるもんです。
それにしても、こんな環境で2000kmも突っ走れば、本当にクルマがわかります。と言うより、よほどクルマに自信がなきゃ、こんな試乗会できませんよね。本当にプチ・パリダカみたいだったんだから。おかげで、日本じゃ絶対に確認できないプジョーのタフネスぶりもよくわかりました。その時の試乗会の総指揮者が、今WRC でプジョー・チームを率いているコラード・プロヴェラ監督です。
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| ハードな道でこそクルマの本質がわかるってものです。写真はサハラ砂漠……ではなく、先日開催されたラリー・ジャパンで場所は北海道。マシンは307のWRカーです。 |
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